フラチーム誕生秘話

スマイルパーティーにまつわる話のつづきである。

「患者さんのために踊りたい」――3年前、N先生のあとを受けブレストセンター長に就任した直後のごった返しがおさまったとき、こんどはテレサ先生がつぶやいた。

そのとき、テレサ先生の頭にあったのは、鹿児島在住の義母(つまり、夫であるオンコロジーセンター長クルーニー先生の母君)がとり組んでおられる「ゴスペルフラ」という種類のフラダンスのことだった。テレサ先生のこの願いが聞き入れられてか、折しも義父君が体調を崩され、夫妻が飛行機で上京されるという事態に。――こうして、ブレストフラチーム誕生のお膳立てがととのった。

そもそも義母(敬愛の情をこめて「ミセスフラ」と呼ばせていただこう)がゴスペルフラに出会ったのは、ハワイの地だった。ハワイ大学で研修中の息子夫妻の家に滞在中、もともとクリスチャンであるミセスフラは現地の教会へ足を運ぶようになり、そこで賛美歌などに合わせて手話を織りまぜながら踊るこの魅惑的なダンスと運命的な出会いを果たしたのだった。

上京に先立ち、課題曲「君は愛されるため生まれた」をミセスフラご自身が踊られたものを収録したDVDが、鹿児島から届いた。ピノコさんが仕事の合間にそれを幾枚もコピーし、フラチーム志願者へくばる。「できるだけ幅広い年代での構成に」というテレサ先生の希望により、ナース長のタマヨさんや小学1年生となったピノコさんの娘のテラスちゃんにもそのうちの1枚が渡された。

さいしょは各自、自宅での自主練習。医局ですれちがいざま質問がとびかい、ドクターやナースが白衣を着たまま2人3人と連れ立って揺らゆら。腰つきもサマになってきたころ、「鏡のある部屋」ということで、リハビリテーションセンター等を時間貸ししてもらっての全体練習へと移行した。

そこへ、ハワイアン風のロングスカートを揺らし、さっそうと登場されたミセスフラ。誰もがその手つき腰つきのまろやかさに圧倒されながら、手厚い指導のもと、心を一つにして短時間集中型の練習がつづく。もともと洋服店を営んでおられたミセスフラは、なんとお手製のチーム全員分のピンクのドレスをたずさえて上京され、最終練習日に皆に手渡されるという感動のおまけつきだった。

すばらしき、グレート・マザーかな!

こうしてむかえた第2回スマイルパーティー当日。指揮者のように客席側からミセスフラが踊りをリードするなか、ブレストフラチームは最高の踊りを披露することができた。

舞台と会場の双方に大きな「スマイル」の花が咲いたのはいうまでもない。