生きた有機体として(2)

夫妻の双方がおなじ病院の他部署の長として同時期に着任するなど日本においては奇跡だと、当初、誰もがそう思った。しかし、テレサ先生の前任者であるN先生が日本の乳がん治療のさらなる発展のため願いをこめて描いたシナリオが、多くの人々の理解と協力をうけ、現実のものとなった。……まさに、History (=his story 神の壮大な計画)である。

――と、このような切り口で書き進めると、そのまま銅像にでもなりそうな、崇高な雰囲気の偉人夫妻を想像されるかもしれない。しかし、生身のクルーニー先生とテレサ先生は純粋かつお茶目で、じつに愛すべきカップルである。

その、愛すべき側面をすこしのぞいてみると……

「それで、彼女が僕に金のわらじ(*本来は「カネ」と読むが、クルーニー先生はテレサ先生への敬愛の情と茶目っ気をこめて「キン」と発音する)をさし出して、『これを履きなさい』っていったのさ」
「お2人のなれそめは?」といった質問が出るたび、1つ年上の妻を射止めたクルーニー氏はきまってそうこたえ、鼻をこすって大きく伸びをする。

「また〜そんなこと言って。彼が私の前にサイズの大きなガラスの靴をおいて『これを履け、履け』ってしつこく言ったのよ」
テレサ先生に水をむけると、おなじ話もこのよう変化する。

「「いった」「いわない」
「それでいい」「それはちがう」
「もうそんなことばっかり」「だからいったじゃないか」
……やれやれ、カエルも食わない?!

このようなやりとりがはじまると、とれてしまったはずのシッポを巻いて、こっそりその場を抜け出すニルバである。