プロフェッショナル

α(アルファ)医師が、ニルバ家の裏庭であるすまいる文庫のまえに、手術着姿でたたずんでいる。
「……ふう」
「ハア……」
音消しのためピノコさんが低く流しているクラシック音楽の間合いに、α医師の口からもれるため息が、さざなみのように医局内にひろがる。

その前日、α医師の父君が他界された。近年見つかったがんの治療も効果的にはこび、ご友人たちと外出までできるようになった矢先の、他の原因によるとつぜんの訃報だった。

いったんは実家へ駆けつけたα医師だったが、翌日には登院し、スケジュールどおり手術をこなしている。新歌舞伎座こけら落としを目前にたてつづけに逝去された役者の二世たち同様、「プロフェッショナル」はどんな折でも舞台をおりることはできないのだ。

だが皆さん、ご安心あれ。そんな折でも、いや、そんな折だからこそ、万感の思いを鎮め、α医師は最高の手術をするだろう――なぜなら、彼は「プロフェッショナル」だから……

その日、「幕間」のたび、α医師はすまいる文庫にやってきた。何をするでもなく、書棚の前にひっそりとたたずむ。

「……あれ、こんな本、ここにあったっけ」
時おり、α医師が口をひらく。
「ありましたよ」
ピノコさんがさりげなく返事をかえす。
「そうだったかな……」
「そうですよ」

かつて昭和という時代のおわりに、
<寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ>
と詠んだ女流歌人がいる、とピノコさんから聞いたことがある。「人に『寄り添う』とはそういうことだと、30代に入ってすぐ母をなくしたあと、しみじみ感じるようになった」とピノコさんは語っていた。

かくいうニルバも、目のまえで父を失うという経験をもっている。古里の池をまもるため、せまりくるブルドーザーに敢然とたちむかっていく父を、誇りと恐怖にまみれながら見守ったあの日――あの壮絶な経験がなければ、ニルバとてこの瞬間、ここから立ち去っていたことだろう。

悲しみをのりこえたからこそ、人(他の生き物)にかけてあげられる言葉がある。
大切なものを失ったからこそ、人(他の生き物)によりそえる自信と強さを得られる。

そんなことをしみじみと感じた医局の一幕だった。

当センターの創立者であるN医師は、NHKの「プロレッショナル 仕事の流儀」に出演された折、プロフェッショナルとは、「自分の可能性と限界を知っている人。そして他のプロフェッショナルをリスペクトできる人」とこたえていた。

その回のタイトルは「人生によりそい、がんと闘う」。
人生の節目をくぐり抜け、α医師は今後、さらに卓越したプロフェッショナルとして多くの人々の「人生によりそい、がんと闘う」ことだろう。

「……よし、あと1件」
自身にいい聞かせるように、凛とした声でそういい放ち、ニルバの目をみてうなずくα医師。
そのプロフェッショナルとしての今後の道のりに、故郷の澄んだ空いっぱいのエールを送りたい。