【Report】Progress in Radiology 2012

2012年9月6-7日の両日、東京広尾のノルウェー大使館で、「第4回日本スカンジナビア放射線シンポジウム」が開催された。同会は2年に1度開催される国際シンポジウムだが、3・11後の日本で開催されることになった記念すべき大会の会長をつとめられたのは、われらがチームの誇る“画像診断の星”、フローレン先生だった。

フローレン先生はかつて、フィンランドのトゥルクに留学され、乳腺領域を専門とする放射線科医として、最先端の乳癌検診のシステムを学ばれた。当時、日本の乳がん検診にまだマンモグラフィは登場しておらず、「その際の現地での温かいサポートはいまだに忘れられない」と先生は折々に感謝の気持ちを表される。そうした経験が礎となり、15年の時を経た今日、日本と同地域の架け橋として、会を主催される運びとなったのである。

ピノコはその手足となり、準備段階から裏方に関わっていたが、前日の5日にはフローレンス先生とともに早朝から約40名のスカンジナビア諸国(ノルウェースウェーデンフィンランドデンマーク)から来日したドクターやその家族のお供として、お相撲の朝稽古見学ツアーへ。その後、大江戸博物館、酒造会社とめぐり、夜は月島の鉄板焼店での歓迎会と盛り上がった。

シンポジウム当日、清楚な紺色のスーツに身をつつんだフローレン先生は、両地域のドクター約80名を前に堂々たる英語スピーチを披露され、会はFukushima問題等にもふれつつ、時に白熱して時間に押されながらも厳粛かつ和やかに進行していった。初日の英語司会は、ブレストセンターから出向したミカン先生だったが、背筋をピンとのばした笑顔の司会ぶりを、おなじチームの一員として、また日本女性として、フローレン先生の采配ぶりにつづき、とても誇らしく感じた。

初日夜には、フィンランド大使館に場所をうつして歓迎の宴がとり行われた。こちらの司会は、かかる役のために勤務後かけつけたヨンファ先生である。はるばる北欧からやってきた来賓の方々のため、カーテンの陰で直前まで言い回しの練習をされる姿が印象的だったが、開始間際になって、マイクに音が入らないというトラブルが発生。スカンジナビアの人々がワイングラスをスプーンでたたいて注意を喚起してくれる中で、声をはりあげての司会進行となってしまったのはすこし残念だった。

ともあれ、先人が築き上げたスカンジナビア諸国との<絆>に立脚して、両地域を代表するドクターが互いに共通語としての英語で研究成果を熱く語る姿に、人間の営みの崇高さにひたすら頭を垂れる思いの2日間だった。

尖閣諸島竹島等の領土問題がとり沙汰される昨今だが、世界平和がいつまでも続くこと、および同会のさらなる発展を願うとともに、日本人が国境を越えてますますグローバルに活躍する未来に思いをはせる裏方秘書だった(byピノコ)。