ドクターのドクター

ブレストセンターの朝は、いつも判で押したようなはじまり方をみせる。

待合室でドクターが朝のカンファレンスを行う間、医局ではナースと受付嬢による朝の申し送りが進行し、その間に小学校へ行くテラスちゃんの登校準備をととのえたピノコ秘書がとびこんできて、コーヒーをおとしはじめる。

医局に漂うコーヒーの香り――

カンファレンスが終了し、ドクターたちが「マイ・タンブラー」に落としたてのコーヒーを注ぎ込んでそれぞれの持ち場へ散ってゆくラッシュの時間帯、その流れに逆行してドアのすきまから石つぶてのように飛びこんでくる1つの影――それが、今回の主人公レノン先生である。

震災前の秋、都内の大学病院から移ってきたレノン先生は、オンコロジーセンターを拠点に患者さんの心のケアを担当するドクターだが、コーヒーを燃料に滑走する高性能車のような人で、たちまちピノコさんが淹れるコーヒーのファンとなった。以来、診察前の「給油」のため、ブレストセンターにたちよる朝の常連客である。

「おはよう、ピノコさん。元気?」
「おはよう、ミカン先生。調子はどう?」
その日本語で行われるあいさつはまるで英語表現のようで、つい英語で答えたくなる、とピノコさんは笑う。たしかに、レノン先生はその「佇まい」からして、この国のふつうの人々とはどこか違う。異国情緒というか、異空間・異次元というか、壮大な精神世界そのものというか――

しかし、ピノコ女史とニルバは知っている。レノン先生は「給油」を口実に、「命の現場」に立ち続けるスタッフの精神面を気づかっているのだ。「ドクターのドクター」――それが、レノン先生の正体の1つである。

「ねえ、ピノコさん。この間、沖縄に行ってきたんだけどね」
「先週、和歌山からもどる途中――」
「週末、鹿児島へ行ったとき――」
レノン先生の話題は、院内にとどまらず、日本列島を行ったり来たり。合間にファミリーで音楽に親しみ、スポーツにも汗を流す。

「今年はさらに、壮大な取組みをはじめたんだ。通信制大学院の学生にもなったんだよ」
宇宙全体を見渡せるような大きな目をくるっと動かし、「油」を口に注ぎこみながら、レノン先生はピノコさんに新たな「謎かけ」を行う。
「楽しみです。ますますパワーアップして、私たちを啓発してください」
ピノコさんもすかさずこたえる。
「そうだね。いつまでも『走り続ける精神科医』でいないと……」
答えがまだ終了しないうちに、他のドクターに招き入れられ、診察室内で別の打ち合わせに入る――

「ところでピノコさん、その席ってきっと楽しいよね。医局の入口のすぐ脇だから、毎日いろんな人が通るでしょう」
ふたたび瞬間移動してきたレノン先生が、パソコンの画面ごしにピノコさんに話しかける。頭の回転の速いレノン先生は、話題も変幻自在である。
「はい。ここから見ていると、まるで演劇の舞台のようです。ナースAB、打合せをしている。下手より、甲ドクター登場、といった感じに」
「そうか、それはおもしろいねえ。……では(とタンブラーの蓋をパチンと閉め)……レノン、上手より風のごとく退場……」

どこまでも、ユニークで豪快な、ブレストセンターの“新風”である。