ケッコンの危機?!

外科医にとって、指輪の管理は頭のいたい問題である。手術や処置の間は外さなくてはならない。そのため、ふだんから結婚指輪をしないドクターも多いし、"newlyweds"と呼ばれる新婚時代限定とうたい、チェーンを通して首から下げている人もいる。

「恐妻家」を豪語し、その実ブレストセンターきっての“愛妻家”であるガチャピン先生の場合、肌身はなさずはめている(先生いわく「はめさせられている」)指輪を手術直前に外し、手術着のポケットに入れることを習慣としていた。

ある日、そんな先生のもとに、学生時代の友人の訃報がとびこんだ。30代にして同級生を失った先生のショックははかりしれなかったが、なんとか予定の手術を終わらせ、かけつけた通夜の席で合掌したとき、2つ目の大事態に気づいてこんどは本当に動転してしまった。

(ゆ、ゆびわがない……)
考えられる場所はただ1つ、洗濯かごに放りこんだ手術着の胸ポケットの中である。すぐさまナース・リーダーのマスコさんに電話をして手術室まで見にいってもらったが、「かごは空」との返事。ダブル・ショックのガチャピン先生は、うつろな思いをかかえたまま、つぎの外出先へと移動した。

そのころ、ブレストセンターは上へ下への大騒ぎ。マスコさんからの通報をうけ、「たいへん、たいへん」「ケッコンの危機!」という声がとびかう中、ナース、受付嬢、秘書、ニルバ、待機中のドクターその他総出で「もしやここにあるのでは」と医局内をひっくり返しての大捜索がくりひろげられた。

夕刻になり、ようやく医局へ帰還したガチャピン先生。首をふるマスコさんの前に荷物をおくやいなや、一縷の望みをたくして地下のリネン室へと急行した。そこにいたのは、白衣の微調整からボタンつけまで、職員のお母さんのように縫い針とミシンをあやつる“白衣の天使”Eさん。顔面蒼白でリネン室へたどりついた“イクメン”ドクターの顔を、下げた眼鏡越しにちらっと見上げるなり、「なーに? ケッコン指輪?」

「きょうの分なら、たぶんあっちの山よ」
お針の手をとめずにしゃくりあげられたあごの先に、うずたかくそびえる白い山。そこへ、いきおいよくとびこんだがちゃぴん先生――
「……あ、あった!」

白い怪物との戦いの果て、執念のゆびわ奪還を果たし、ブレストセンターに凱旋したガチャピン王子を待ちうけていたのは、当の本人以上に安堵の表情をうかべたスタッフの温かい拍手だった。

「僕も新婚時代、家の洗面所で手を洗おうと思って結婚指輪を外してコップに入れたんだけど、そのまま忘れてしまって、気がついたらコップごと消えていた、って事件がありました。流してしまったかと思ってあわてて外の配管の点検口まであけてあさってみたけれど、見つからない。それで、いさぎよく妻に謝ったんです。そしたら彼女がキッチンにすっとんでいくので、うしろから追いかけたら、なんと洗面所にあったコップに花がいけてあって、その中に指輪があったんです」

別のドクターがそんなほほえましい逸話を披露すれば、さいごはマスコさんのとっておきの経験談に、医局は笑いの渦につつまれた。
「私なんて、大学生の娘が1歳のとき、外した指輪をてっきり娘が飲んじゃったと思って、子供のレントゲンまでとったわよ」

……やれやれ。外科医というか、医療者というか、にんげんやっているのもラクじゃない。